『あばずれ』の幻のラストシーン

渡辺護自伝的ドキュメンタリー第一部『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(2011年)から、渡辺さんが監督デビュー作『あばずれ』のラストシーンについて語った部分を採録します。

撮影時(2010年)、『あばずれ』のフィルムはもう残っていないと思われていましたが、渡辺さんの死後、2014年に神戸映画資料館が16mm短縮版を発見します。

そのフィルムを見て驚いたのは、『糸の切れた凧』で語られたラストシーンとちがっていたことです。

一体、これはどういうことなのだ?と動揺したわけですが……。

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渡辺護が語る『あばずれ』のラストシーン(『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』より)

○ ラストシーン

字幕「シーン95

文枝を夜の海に連れて行く立子」

字幕「立子は明に文枝をレイプするよう命じる」

井川「浜松でいよいよ左京未知子に復讐するところもかなり時間かかったんですか?」

字幕「※撮影場所は静岡県掛川の間違い」

渡辺護「そうだね、あれは徹夜だよね。明け方までかかりましたよ、朝まで。あそこでライト(をあてて、撮影)してると、土手バックで何にも海も見えないんだよ。そこに人物だけいてさ、それでやったんだからね。大変ですよ。左京未知子はよくやってくれたですよ」

井川「そのレイプシーンはかなり迫力があるものに……、力入れて撮ったんですか?」

『あばずれ』のラストシーンを書いた原稿。

 渡辺護「うーん、むしろ男が、そのう、レイプが終わって……。

(飛鳥公子が、明役の)黒木純一郎に「やって。わたしにしたように」って言うのがあって、(黒木純一郎と左京未知子が)からむと、太腿が見えたりなんかして、やっぱり一応やるよな。

で、ぐうっとやったときにさ、ふらふらっと立ち上がると……、女がこうやって立ち上がるわけよ、逃げようと思って。そうすると(飛鳥公子が)ピストルを向けて、バーン!って。

そのタイミングは、ピストル持って撃つとなったら、間がない。撃て!ってやつだよな、おれの撮り方ってのは。普通の映画だったら、こうやって、「撃つぞ」「あっ」。(そんなことは)やらない。

女がふらふらって立ち上がる。そうしたら、パンパンパーン! 撃ったよ。そうしたら、カーッて転がる。

カットインで(撃たれた左京未知子が)「ああーっ!」と転がるのがあると、ぱっと男の顔。「おい、そんな……殺すこたあねえだろ」って(黒木純一郎の)顔があったら、(ピストルをかまえて)バッてやって、「えっ! おれもか?」――バーン!だよ。

そりゃもう早いよ。思い入れなし。パンパーン!と行ったところでカットですよ。

それで朝になって、(陽がのぼるのを身振りで示し)ばあーっと。

(広い)空間があって女の姿があって……、大ロングがあって、女が歩く。砂丘の上、デイシーンで現れる。

アップになって、銃をこうやって(銃を頭につきつけるまね)、「パパ、やったわ」。こういう(目をつむってちょっと上を向く)動きあると、パンして海になる。そこに銃声がバーンッ! エンド。

そのときは、ジャジャジャーンじゃない。バーン! 終わり。

だから、渡辺映画なんだよ、それは。そういう撮り方って何でもないことなんだけどね。それが結局、竹野さんは面白いって言ってましたね。「渡辺さんのは面白いね」って。

いや、細かかったですよ、演出は。だって、15日かけて撮ってるからね。『少女縄化粧』が五日間だもんね。(『あばずれ』の)三分の一で撮ってんだからさあ。ただ、一時間二十分ありますよ、『あばずれ』は。

井川「撮影終わったあと、飛鳥公子はどうだったんですか?」

 渡辺護「泣いたよ。面白かったよ、あれは。

何とか(ねむのき)学園の近くの方で、本当にラストシーンはラストシーンのカットで終わったんですよ、映画撮影は。

で、「これであがりです。お疲れさま」って言った瞬間、わあーって泣いたよ、飛鳥公子。

おれ、びっくりしちゃったよ。あれ、辛かった(のかな)。あんなにがんばったことないんだろうなあ、おそらく」

北岡「実際には何才だったんですか、飛鳥公子さんって? そのときはおいくつだったんですか?」

渡辺護「二十才くらいじゃないですかね。若かったですよ、やっぱり。うわあって泣いたから。そういう子なんだよな、コロッケ屋の娘で」

井川「芝居についてはずいぶん厳しく言ったんですか?」

渡辺護「ああ、あったね。今思うとすごいですよ。テスト、テストって言って。

スクリプターがさ、「気違いなんだから、この監督は!」って怒ったことあったよ。

それはね、ええっと、いたんですよ。(スクリプターに)藤田さんってひとがいて、それがね一生懸命かばってたですよ、飛鳥公子を。あんまり可哀想だってんで(笑)」

北岡「そんなにいじめたんですか?」

 渡辺護「そいで、左京未知子にも注意されたよ。(腕をつかんで)「ダメ!」って言われたよ。「何やってんだ、お前」って言ったら、ぐっとつかまれて「ダメ!」って言われたことあったよ」

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『糸の切れた凧』で渡辺さんが語る『あばずれ』のラストシーンは、立子が文枝と明を殺すときに拳銃を使う点では『変態SEX 私とろける』(80)に似ていて、立子の自殺方法という点では監督:和泉聖治、脚本:渡辺護の『パパ、私やったわ!』(76)に似ています(ただし、『パパ、私やったわ!』では自動車内で自殺)。

一体、『糸の切れた凧』で語ったラストは何なのか?

参考までに2014年12月に神戸映画資料館で『あばずれ』を見た直後に私(井川)が書いたツイッターを載せておきます。

 

一体、『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』で語ったことは何だったのだろう? 渡辺さんは拳銃を頭におしあてて目をつむる仕草をして、「こういう動きあると、パンして海になる。ジャジャジャーンなんて音楽は入れない。銃声がバーン! 終わり」と言ったあと、ドヤ顔をしてみせた。

そして、「だから、渡辺護映画なんだよ、それは。(撮影の)竹野(治夫)さんは言ってましたね。渡辺さんのは面白いねって」と現場の様子まで話してくれたのです。

渡辺さんがだますつもりでウソを言ったとは思えない。『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』の撮影時、渡辺さんは本当にそう撮ったと信じていたにちがいないのです。では、どうして記憶が変質して、まるで事実とちがうものになってしまったのか?

渡辺護さんは『あばずれ』を二度リメイクしています。一本目は緊縛時代劇版リメイクの『少女縄化粧』(79)、二本目はオリジナル版を60分に短縮した『変態SEX 私とろける』(80)。そして、90年代に渡辺さんはOVで三度目のリメイクを考えていたようで手書き原稿が残っています。

映画は1965年に完成したけれども、渡辺護さんの中で『あばずれ』は終わっていなかった。それだから、何度もリメイクを試みたのではないでしょうか。そして、ああ撮ればよかった、こう撮ればよかった、と考え続けていくうち、記憶が変質してしまったのではないかと。

そういう見方をすると、『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』の中で渡辺さんが語っている『あばずれ』は、監督デビュー作の『あばずれ』ではなくて、三度目の最新リメイク版『あばずれ』なのだ、と言った方がよいのかもしれません。

 

(追記:ちなみに『暴欲の色布団』(67)も『あばずれ』のリメイクではないかという情報があります)