「ピンク映画なら誰が撮っても同じ」は危険

(以下のエッセイは、『月刊成人映画』1972年11月号に掲載されたものです)

ピンク映画も、いま深刻な事態に直面している。ピンク映画の危機の外在的要因はいうまでもなく日活ロマンポルノの登場であり、内在的要因は、俳優たちの間に“誰でも監督はできるのだ”という安逸な風潮が底流していること点を見のがすわけにはいかない。
実際に俳優あがりの映画監督がこの世界に存在するし、現役のピンク女優が監督を手がけるようになった。誰が監督をやろうと、もちろん、私の知ったことではない。作りたい奴が作ればいい。演出をするからには、それ相当の経験に裏打ちされた技術を要するであろうことは論を待たない。
俳優が監督を手がけることに反対しているのではない。俳優は俳優の職分を守れ、監督は監督の職分を守れといっているのだ。全スタッフがその職分を守り、全俳優が、その役を演じ切るように努力せよ!といいたいのだ。
私は監督として、俳優やスタッフを支配したいというのではない。監督と俳優が“なれあい”で映画を作るようになったら、もうおしまいだといいたいのだ。監督と俳優が協力しなければ映画は作れない。しかし、協力と“なれあい”とは違うと思う。“なれあい”の中には監督の領分に対する俳優の侵犯があると思う。俳優は俳優であることの限度を認めなければならない。その限度を認識して、はじめて本当の意味での監督と俳優との協力関係が成り立っていくのだ。
また俳優の監督不信を側面から助長しているのは、奇抜なカットの重視があるからだと考える。奇抜なカットでありさえすればいいという考え方は、当然、カメラマン重視になり“監督なんかいらねえ”というような幻想である。極論をすれば、脚本にコンテを書いておいて、その指示に従ってカメラマンがカメラを回せば、映画は作れるということになってしまう。
いまさら、私がこうした説明をしなければならないほど今日のピンク映画の状況は荒涼としている。
最後にロマンポルノだが、その存在が気にかからないわけではない。日活の監督の中にも、私が認めている人材がいる。
日活ロマンポルノが、この程度の映画を作っているのなら、わがピンク映画の世界に、これに対抗できる監督は何人もいる。若松孝二、向井寛、新藤孝衛、山本晋也らの名前をいくらでもあげることができる。
私は十年間、ピンク映画を作り続けて来た。三百万映画と俗称されていたピンク映画も、しだいに製作費は削減され、いまでは百数十万円で作らなければならない。製作費の削減は、製作日数、キャスティング、ドラマの状況設定にまで影響を及ぼす。
こうした劣悪な製作条件の下をかいくぐりながら、私を含めて、ピンク映画の監督の何人かは、十年間ピンク映画を撮り続けて来た。映画を作るという以前の段階で、私たちは、まず製作条件と闘わなければならなかった。五社の監督たちから見れば、二重三重に疎外された製作条件の下で十年間映画を撮り続けて来た私たちが、日活ロマンポルノのさざ波程度で横転することは断じてありはしない。
私はピンク映画の“職人”として映画を撮り続けて来た。私は、この“職人”という言葉を愛する。かつても、いまも芸術家意識に貫かれているような、トンマな監督がまともな映画を作ったためしはない。
私はあたりまえの人間がこの世を生き抜いていく、その哀しみとこっけいさを撮り続けたいと思う。革命とか反体制を看板にして一部の学生のゴキゲンをとるようなことはしたくない。
ピンク映画の危機を救うためには、まず何よりも監督の権威を復権することにあると私は考える。監督と俳優のなれあいは、ごめんこうむりたい。