日録(1980年7月14日、21日、28日)

(このエッセイは、「日本読書新聞」1980年7月14日、21日、28日に掲載されたものです)

×月×日
新東宝のお盆映画『日本の痴漢』の撮影にインする。毎度のことであるが、新宿安田生命前七時半集合はキツイ。五日間と言う短期間で撮りあげなくてはならないのは、いつもながら痛烈だ。今月のセットは、浅草。昔からの友人“赤提灯”の町田さんにめんどうをみてもらい、仁丹塔裏で以前“赤提灯”だった所を使わしてもらう。撮影は快調に進む。「俺たち痴漢に明日はない」「勃起したペニスに良心はない」久保新二と、堺勝郎から脚本にないセリフがポンポンと飛び出る。よし、そのまま行こう。フィルムはバンバン廻る。久しぶりの喜劇だ。役者の芝居を見てふくらませながら、ドラマの中で起きる最も滑稽なのを廻していくわけだが、この調子で果して五日目にはフィルムがあるだろうか。そんな心配をする位、みんなノリにノッている。
ウチのスタッフは、照明七〇歳、カメラが三三歳、私監督四九歳だ。その渡辺組の平均年齢をグーンと下げるスタッフが今回いる。助監督のすみれちゃん、二一歳だ。中島葵の劇団からの紹介でやって来た彼女は、日暮里の左官屋さんの娘さん。名前は、お父さんが漫画からつけたほんとうの名。自主映画をやりたいという。秋吉久美子をスタイル良くした様な、鳩胸の出ッ尻で顔も実に可愛い。「君、俺の現場について、勉強になる?」などと聞いてみるが、かなりワイセツな場面を撮っているにもかかわらず、呆れているふうはなく楽しそうに動き廻っている。キラキラしたいい目をしている彼女は、どことなく少年っぽい。
お好み焼きの“染太郎”へ連れて行って、お好み焼きと焼そばをごちそうする。おいしそうにお好み焼きをほおばるすみれちゃんは、ああ今日はたいへんぜいたくをしたという顔つきだ。若い奴は、安上がりでいいなあ。現場で笑いころげるすみれちゃんを見ると、俺はこんなことしてていいのだろうかなんて思うのだが、さあ、明日も撮影だ。

×月×日
撮影最終日。言問橋から吾妻橋付近で痴漢公園のシーンだ。午後一時三〇分、体があいたのでなつかしい喫茶店に入る。すると、思い出が記憶の底からせきを切って流れ出す。まだ監督一本目の駆け出しの時だったが、俺はこの店でスタッフ全員にグレープジュースをおごったっけ。一九六五年、第一作の『あばずれ』の時だ。
六三年、俺はテレビの映画の助監督をやっていた。ある日、パチンコ屋で、昔の仲間に出会って「やんないか――」と声をかけられたのがピンクだったというわけだ。助監督をやりながら脚本を書き、ある日、脚本を届けに会社に行き脚本の内容を説明したのが認められて監督することになった。俺は、監督の初日、不安でロケ現場の浅草に、前の晩から泊り込んで、ああでもないこうでもないと、脚本が汚れてボロボロになる程カット割をしていたが、とうとう夜が明けて旅館の障子に木の蔭がゆれるのを見て、あせったりしたものだ。
言問橋の上が、撮影の第一現場だった。監督がストップしたら十何人のスタッフ全員がストップするという責任感で、一七日間の撮影を終えた時、六五キロの体重が六〇キロを切っていたのを思い出す。ラストカットを撮り終えるとその場に倒れ込んだ俺にみんなが駆け寄って来た。一作目から三作目までずっと浅草が舞台の映画を撮った。それは、浅草が切っても切れない俺の故郷だからだ。滝野川生まれの俺は、飛鳥山からバスに乗り、千束で降りる。小学六年の頃から、浅草にやって来ては、大都映画の時代劇、内田吐夢の小杉勇主演『人生劇場』森川信一座や清水金一(シミキン)一座軽演劇、いろんなものを、見た。ラムネを飲みながら瓢箪池の廻りを今見たばかりの映画の思いを託しながら歩いた。「強いばかりが男がじゃないといつかおしえてくれた人――」という歌も憶えた。しかし、その浅草が、六区が、あと一、二年するとツブされて大きなビルが建ちデパートになってしまうという。
俺の故郷はドンドンなくなる。

×月×日
俺の映画の熱心なファンである若者たちが、今はもう劇場で上映されない古いフィルムが見たいといって来た。『少女縄化粧』や『聖処女縛り』を観て俺の名前を覚えてくれたという彼らが、俺の過去の作品が見たいというのだ。丁度、『(秘)湯の町・夜のひとで』と『おんな地獄唄・尺八弁天』の二本を俺は一六ミリ版にして持っていたので、それを若者たちに貸してやることにした。そして若者たちは六本木のビルの六階にあるこじんまりとしたスペースでそれの上映会を催した。
映画の後、若者たちとの討論をすることになった。評論家の松田政男さんや、映画を見にやって来た日野繭子も参加してくれた。うれしかったのは、ロケ先の青森から上野に帰ってくる列車の中、雑誌でこの上映会を知りかけつけて来てくれた風間舞子だ。昔と今のピンク映画の話を若者たちとすることができた。そんな中である青年が『尺八弁天』に出ている辰巳典子のことについて質問をした。彼女は今、下北沢で“らりぱっぱ”という飲屋をやっているのだが、始めてやって来た時は一七歳、おじいちゃんとおばあちゃんを背中にしょったけなげな女の子だった。いろんな女優がいた。谷ナオミは「絶対、あたしの胸は自信があるの、恋人にだって吸わせないんだから」と言って現われた九州なまりがぬけない女の子だった。
中でも思い出すのは、『あばずれ』に主演した飛鳥公子だ。コロッケ屋の娘で一八歳でやって来て、「キミ、パンティはいつも清潔な白を用意してくれ」と言ったらスカートをめくりあげて「不潔かどうか見て下さい」とすごかった。何本か出た後、歌手になると言ってやめていった。ピンク初期のスター左京未知子や、内田高子や、新高恵子や、可能かず子、谷口朱里、みんな元気でやっているだろうか。その後はいろんな道を歩んでいるにしてもふと思い出すことがある。