渡辺護、『喪服の未亡人 ほしいの…』を語る(2008年)

(このインタビューは、プロジェクトINAZUMAブログ(2008年6月6日)からの再録です)

1.やるならピンク映画だ

ある日、国映のおねえ(朝倉大介こと佐藤啓子)から電話がかかってきた。「ナベさん、元気? 映画撮らないと、体によくないよ」
おれも、次にやるならピンク映画だ、と思ってたときだったからね。井川耕一郎にシナリオを頼んだ。
そのシナリオ(『おきみやげ』というタイトルだった)に国映のおねえがのってきて、今度の『喪服の未亡人 ほしいの…』になったわけです。

主演を淡島小鞠にした理由?
前に田中康文の『裸の三姉妹 淫交』(06年)というのを見ていて、ひきこもりの三女の役をやってた子が面白かった。その子が淡島小鞠だった。
福原彰の『連続不倫2 姉妹相姦図』(08年)にも出ていたね。姉が主役の話なんだけど、妹をやった淡島小鞠の方が主役に見えた。
映画を見て、本人にも会って、この子、面白いな、と思ってね。それで、『喪服の未亡人 ほしいの…』の主役に決めた。

淡島小鞠って子は、荒木太郎のところでピンク映画のシナリオを書いたり、助監督をやったりしているんだよ。
そういうこともあって、初号試写には荒木太郎も来ていた。
荒木の感想は一番印象に残っているね。
荒木はシナリオも読んでいるからね、「こんな難しいホンは、護さんにしか撮れない」と言っていた。
それから、「ありがとうございます」って言うんだよ。淡島がおれの映画に出て感動したって言ったらしいんだよ。喜んでいるって。
撮影のときには、ずいぶん怒鳴ってしまったけれど(今回は怒鳴らないようにしようと思ったんだけどな)、そう言ってもらうと嬉しいですねえ。
実際、淡島くんはよくやってくれたと思う。

2.ピンク映画の新しい基準

初号試写のあと、いろんな感想を聞いたよ。
「よくある話だけど、面白かったです」という感想があったね。
でもね、ダンナが死んだあと、浮気を録音したカセットテープが出てくるなんて、よくある話か?
で、テープを聞いた主人公のいずみは、殺してやる!って思うわけだ。
だけど、もうとっくにダンナは死んでいる。そこで、他の男とセックスして復讐してやろうなんて考えるのは、おかしいよな。
それに、結城リナが演じた女は、淡島小鞠のイメージの中ではダンナの浮気相手として出てくるけれど、本当にそうなのかどうか分からない。
それどころか、人間なのか幻なのかも分からないんだ。
だから、よくある話じゃないんだよ。井川のホンはアングラだよ。

この映画、一筋縄ではいかない映画、食えない映画というふうにも見られたようだね。
シリアスなドラマなのか、コメディなのか? おれがどっちを狙ったのかだって?
淡島小鞠が演じた主人公の話はぎすぎすしたところがあるからね。倖田李梨が出るところはそれとは対照的な色っぽさというか、コメディっぽくしようとは思った。
でもね、コメディにするとか、深刻なスタイルにするとかじゃないんですよ。
おれは、ピンク映画のスタイルをやろう、と思っていたんだ。

ピンク映画は予算もないし、時間もない。女の裸で勝負するしかないって映画だ。
だけど、ただ裸を撮りゃいいってもんじゃない。そこで、監督の腕が問われるわけだよ。
ピンクってのは、お客さんと猥談するような感覚で撮らないとね。
ハッ!とするような画で、お客さんをだましてでも映画に引きこむ。説明カットなんか撮らずにどんどん語っていくんだ。

今度の『喪服の未亡人 ほしいの…』の冒頭のからみには、ハッ!としたって?
あれは主人公のいずみがテープを聞いて、夫に裏切られた!とショックを受ける残酷な場面だ。
だから、女の開いた足の向こうに死んだ夫の顔が現れる、ハッ!とする画を撮ってみたんだよ。

それから、ピンク映画は、からみがたくさん入ってりゃいいってもんじゃない。
ベッドシーンが話の流れから浮いてしまっちゃダメだ。ベッドシーンを映画の中で正当化する工夫が必要なんだよ。
風呂上がりの倖田李梨がバスタオルで体を拭くところが面白かったって?
大きく開いた足の間にバスタオルを通して、前後にごしごし動かして股間を拭くところのことかな?
あれはああいう芝居が倖田李梨に合っていると思ったから、やらせたんだよ。
で、倖田李梨にニヤッと笑わせてね、「一発やろう!」と岡田智宏に迫らせていく。そうやってベッドシーンへの流れをつくっていくわけだよ。
ああいう演出は理屈じゃないんだ。
ピンク映画の現場では、事前に考えたコンテどおりに撮れないときがある。
そういうとき、その場でどうしたらいいかを考えるんだよ。役者の素の魅力を活かして面白く撮るにはどうしたらいいかを考えるんだ。
だから、おれは理屈で映画を撮ってない。カンで撮ってるところがある。

ピンク映画のいいところは、監督がわがまま言って撮れるところだ。
「黙っておれにまかせてくれ。ちゃんと商品になるものを撮ってくるから」と言えるところにある。
でもね、おれ一人の力で何とかなったってわけじゃないですよ。
おれが『あばずれ』って映画で監督デビューしたのが、昭和40年(1965年)。それから今まで、いろんな役者、いろんなスタッフと映画を撮ってきた。
脚本家でいうと、最初のうちは、阿部桂一さんや丸林久信さん――このひとたちはメジャーの撮影所にいたひとたちだ。
それから、年の近い石森史郎や大和屋竺と仕事をして、学生のときにおれの映画を見ていた荒井晴彦、高橋伴明、小水一男という流れになる。
そういういろんなひととの出会いの中で、おれはピンク映画って何だ?と探りながら撮ってきたんだよ。

だから、昔、おれが撮ったピンク映画のタイトルをあげて、あの頃みたいなやつをまた撮って下さいよ、と言われても困るわけだ。
おれは昔には戻れないし、昔、成功したものをまたやったって面白くないと思う。
今回、おれは井川の脚本で、これからのピンクはこれでどうだ!って気持ちで映画を撮った。
ピンクの新しい基準をつくるつもりで撮ったわけです。

3.『ラスト、コーション』と『恋のエチュード』

アン・リーの『ラスト、コーション』(07年)は、レジスタンス映画として見たら、ずいぶんおかしな話だよ。
でもね、レジスタンスの女がスパイになって、日本側についたトニー・レオンに接近していく。
そうして、男女の深い関係になってしまう。
あの『ラスト、コーション』のベッドシーンはすごいよ。
レジスタンスの女役のタン・ウェイって女優がきれいでね、その子を使ってベッドシーンを容赦なく撮っているから、迫力がありましたねえ。
タン・ウェイの体が、裏切り者のトニー・レオンに反応してしまう。レジスタンスの女なのに、体が心を裏切っていく――こういうのはピンク映画的だな。
話はまるで違うけれど、『喪服の未亡人 ほしいの…』も、裏切りとセックスがテーマだからね。
主人公のいずみが、夫が自分を裏切って浮気したように、自分も夫を裏切ってセックスしてやるってシーン――淡島小鞠と岡田智宏がとことんセックスするところは、『ラスト、コーション』を意識して、どうやって面白く見せようかと考えたよ。

それから、トリュフォーの『恋のエチュード』(71年)も意識した映画だ。
『恋のエチュード』は撮影前にビデオで見た。
映画の初めの方で、妹役の女優(ステイシー・テンデター)が眼帯をつけてるんだけど、眼帯ってのは違和感があるわけだ。だから、気になって眼帯をときどき触るんだよ。
それを見て、おれは反省したね。
『片目だけの恋』(04年)のとき、小田切理紗が眼帯をする場面があった。あのとき、眼帯を触る芝居を理紗にやらせればよかった……ってね。
で、おれは演出のことをずっと考えていたからね、この反省を今度撮る映画に活かせないかと思った。
小道具が決まると、演出しやすいってことがあるからね。
でも、眼帯が使えるシーンなんかどこにもない……じゃあ、眼帯じゃなくて、マスクならどうだ……というふうに考えていったら、ひらめいたんだよ。
おれは井川のところに電話をかけて、マスクを使うアイデアをしゃべった。
そうしたら、井川が笑いだしたんだよ。
「井川、何がおかしいんだよ? おれは真面目なんだ」と言ったら、こう言うんだ。
「いや、そのアイデア、最高ですよ。『恋のエチュード』を見て、そんなことを思いつくなんて……さすが、渡辺さんだ!」
というわけで、『喪服の未亡人 ほしいの…』には、マスクが小道具として出てくるんだが、どんなふうに使われているかは、見てのお楽しみということにしておこう。

国映のおねえは「映画を撮らないと、体によくないよ」と言ってたけど、そうかもしれない。
映画を撮るのは、体にいいよ。
これからもどんどん面白い映画を撮っていきたいね。