渡辺護映画講義レポート(第2回)(2004年)

そして話題は本日のもう一本の上映作『夜のひとで』に…

井川「『夜のひとで』は今村昌平の『エロ事師より 人類学入門』のような実際の
ブルーフィルムづくりの世界を描こうとした映画ではないのですね」
渡辺「ええ、そりゃもう違う。『夜のひとで』のなかで「もうこの世界に先がない」
みたいな言い方をしてるよね。当時、この先、映画をつくるっていうことが
いい方向にあると思えなかったし、いつまで撮ってられるのかなという不安
もあった。映画作れなくなったらどうして生きていこう、と考えたし。それ
は金を稼ぐ、生活する、という意味じゃなくってね。そういった映画の「業」
みたいなもの、それを描きたかった… あと、もうひとつは無声映画が撮り
たかったんだよ。これはかなり飛躍したアイディアなんだけれども、話して
みると大和屋ちゃんがまたノリましてね、じゃあ書いてよ、ってんでホンを
お願いした。活弁は入れるし、ナツメロはアテるし、もう八方破れだったね。
できあがったのを観て大和屋ちゃんは、なにやってんだろこの人、って思っ
たんじゃないのかなあ」
井川「…『夜のひとで』で印象的なのはエロ写真撮るところですよね、ジーッ、と
セルフタイマーで。シナリオには「次々と続く地獄のポーズ」と書かれてま
すけど渡辺さんの演出ではちょっとコミカルになってますね」
渡辺「そうね。ええとね、脚本はああなってますけど、俺はピンク映画の現場で、
予算も時間も切迫してるもんだからどうしても徹夜つづきになる、で、撮影
の合間にフィルムチェンジかなんかで女優さんに待ってもらっていると、寝
不足だろうしライトの熱もポカポカしてて、彼女らがスーッと寝ちゃうんだ
よね。で、ハイ、準備できた、本番いってみようか、ってえと、アアッ、な
んて悶えるんだね。それをですね、見てて、なんか怖いっていうか虚しいっ
ていうか、そういう感じがあった」
井川「それは大和屋さんには打ち合わせのときに話したんですか」
渡辺「いや、話してはないね。でもまあ、撮ってるときにはそのイメージっていう
のがあって、ラストも、雀の眠ってる顔の写真で「オワリ」としたんだけど
ね。…行き着くところってのは、あるわなあ、行き着くところが人生、とい
うかね…」
井川「ブルーフィルムを撮影しているシーンで、加代という娘が処女喪失してしま
う、そこで男たちがうろたえていると、雀が「どうしたんだい、大の男が!」
とタンカをきって寝っ転がる…」
渡辺「…どうせ本番は私だろ、と言って大の字になる…あそこで「きれいな雲…」
っていうセリフ、言わせたんだよ。俺はそういう思い入れをフッといれちゃ
うところがあるんですよ。でもあれは大分解釈が違うらしくって、大和屋ちゃ
んのイメージは、もっと動物的で無神経なかわいい女、ということらしいん
ですよ。それを俺は“いい女”として描いちゃっているんですよ。いや、ホ
ント、いい女だと思うよ。で、そこで「きれいな雲…」って言わせたら、ラッ
シュ見て大和屋が、「渡辺さん、あれ、何て言いました!?」って言うから、
きれいな雲、って言ったんだよ」、そしたら「渡辺さん! 甘いあまい。
削ってください!」かなんか言われちゃってさあ。あの、大和屋め!」
井川「仕上げの途中も、大和屋さん、来てるわけですか」
渡辺「来ないほうがいいんだけれども」
井川「『尺八弁天』のときも来てたんですか」
渡辺「来てますよ。それは別に来ていいんだけれども、アイツは優秀な監督でもある
から、アラを探してんじゃないかと、こっちは自信ないから思っちゃうよ。な
んだか、ねっちりはっちり、「ああ、そうですかあ」なんて言いながらニヤニ
ヤされて、わけわかんないこと言われると、煙たくってしょうがない」

井川「『夜のひとで』で奇妙なのは、久生が捕まってからみんなバタバタっと不幸に
なってゆくのですけれど、渡辺さんのよく言う、わからない、というのは、劇
中のブルーフィルム撮影時に処女とは知らずに出演の女の子を犯してしまって
それを悔いていた、港雄一演ずるチンドン屋の源ゴローという男が、ラスト唐
突に自殺するところでしょうか」
渡辺「「生娘だったのかッ!」ということに執着しておかしくなっていく、あれはやっ
ぱり大和屋さんの世界だと思うね。でも俺はちょっとそれが理解できなくて、
唐突すぎやしないかと、そこがわかんない、と何回も言ったらね「いやあ、わ
かんないですかねえ、こんなこと」なんて言うんだよ、アイツ!!(笑) こ
っちもわからないまま演出するわけにもいかないから、頼むから説明してくれ
よ、なんて言ってるとひとこと「狂気、なんですよね」と言って、それで俺は、
あ、つかめた、と思って「はやくそれを言ってくれよ。じゃ、どうもおつかれ
さん」なんて言ってそれで別れて帰った、てなこともありましたがね。…ただ
お客さんにわかんないんじゃないか、その狂気を説明しなきゃいけないんじゃ
ないか、ということを気にしちゃって、いま見ると、ああなんと力のない監督
であったことよ、とも思いますがね…」

その、狂気を説明する、という意識の反映か、シナリオでは「首つり」によるものだった源ゴローの自殺を、演出では切腹」としたわけだが、監督は、首をつるという作業のもつ計算の必要性や準備(枝を選び。縄をかけ、足場をおいて、というような、)よりも、持ってる刀で腹を切るほうが狂気じゃないか、と思ったそうだ。そこから、シナリオと出来上がったフィルムとの相違、という点に話が及び…

井川「ラストの雀の死にざまですけれど、シナリオでは、「ボロくずの山がある。犬、
しきりにボロ布をくわえてひっぱる。中から、安らかな顔の雀の凍死体が現れ
る」、となっているのを渡辺さんは違う撮り方していますけれど」
渡辺「シナリオには活弁がかぶさる、っていうのもないんですよ。でも無声映画時代
から日本映画が始まっていまに続いている、そういうことがラスト、構成上は
いってくるというのを、ホンとはちがうけれどもやりたかった。ボロ山と犬、
は正直言って撮影としても不可能だったんだけど、でも、自信持って、そうは
撮らない、のが俺なんだね。 …ひとにものを観せる人間の業みたいなものが
あるじゃないですか。ハッと気づいたら、終わってた、みたいな残酷さ…ちょ
っとうまく言えないな、あんたかわりに言ってくれよ(笑) 俺はついセンチ
メンタルになっちゃうんで、あのほうが甘くていいんじゃないか、と思ったけ
れども、ああするほうが残酷だ、とも言われましたがね。でも、美しいでしょ。
やっぱり映画はね、ある哀しみみたいなもので終わったほうがきれいだ、と」

『夜のひとで』は数年前にリメイクする話もあったそう。その新版『夜のひとで』では渡辺監督自ら“久生”を演じ、(渡辺「クリント・イーストウッドになろうと思ったんだよ(笑)」 註・渡辺護とイーストウッドはほぼ同い年)年齢を経た監督と若い女優との関わりと別れ、という解釈での作品とする構想であったそうだが、とりあえず果たされずにおかれている…

井川「このたびはそもそも「片目だけの恋」という渡辺監督の最新作の宣伝も兼ねて、
この映画講義をおこなったのですが、せっかくですので予告編をご来場の皆さ
んに観ていただこうかと思っております。渡辺監督、何かありますか」
渡辺「ええっと、私はもう七十三になるんですが性懲りもなく“セーラー服もの”を
撮りましてね。むかしからそういうのが多いんですよ。美保純主演の『制服処
女のいたみ』というのや可愛かずみ主演の『セーラー服色情飼育』というのと
か。こないだ明日のことを考えて成瀬巳喜男さんの映画を見直してたんだけど
(*)、あのひとは“おばさん”をうまく撮ってんですね。私は少女を撮りた
いというか、よく観察してるし、少女を描くのがうまいとされてるそうで、今
回も、とても魅力的な、小田切理紗ちゃんというコを得まして、過去作に負け
ぬ“セーラー服もの”ができたと思いますんで、どうぞよろしくお願いします」
井川「正確には、セーラー服、ではなくて、ブレザーなんですが、ともあれどうぞ」

と、ここで予告編の上映があり、そののちに来場していた主演の小田切理紗さんと共演の田谷淳さんからあいさつがあった。

小田切理紗「“主演”、シマシタ、遠山ユカ役を演じました、小田切理紗です。今回
初めてこんなにいっぱいお芝居をしたということもあり、すごく緊張した
んですけれども、このお茶目な監督にリラックスさせていただいて、あっ
たかい現場で頑張ることができました。ぜひ観てください」

田谷淳「渡辺監督とは初めてご一緒させていただいたんですが、大変でした、毎日怒
鳴られシゴかれ… でもこれだけパワフルな監督がつくったものですから、
とっても素敵なものになってます。ぜひご覧下さい」

こうして渡辺護映画講義、第一日目が終了した。

(*翌19日には、成瀬巳喜男監督作『浮雲』と渡辺護監督作『紅蓮華』の上映、それに基づく講義があった。その模様もこのホームページで引き続き紹介します)

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