インタビュー「『おんな地獄唄 尺八弁天』を撮り終えたくなかった」(1995年)

(このインタビューは、『ジライヤ別冊 大和屋竺』(1995年)からの再録です)


『裏切りの季節』は封切りのときに見た。新宿京王名画座で若松孝二の『壁の中の秘事』と二本立てで、お客さんがたくさん入っていたね。『裏切りの季節』はミステリックだけれども、ミステリーじゃない、すごく新しいつくり方だった。冒頭の、男たちがベトナムの写真を持って歩くところから羽田空港までの画は、完璧だと思った。国際的なおっかないことがこれから起きる感じがしたね。それからラストでひとりでに動く傘もよかったな。あの傘、撮っているときに風が吹いて、それで動いたんだってね。その偶然がこわいなあ。神様が大和屋ちゃんに見方したってことかな。
この間、アテネ・フランセでやった「大和屋竺映画祭」で、『裏切りの季節』をひさしぶりに見たけれど、後半で女をいじめるところ(主人公の中谷がマンションで眉子を拷問する部分)があるでしょう? 何故あんなにいじめぬくのかね。大和屋の中に、本質的に女をいじめたいって願望があったのかな。俺はあんなに女をいじめられないね。そりゃあ、俺も緊縛ものを撮ったりしたけれど、あれは商売だからね。
とにかく『裏切りの季節』はよかった。大和屋ちゃん、自信満々で撮って、これからは俺の時代だ!と言ってるような感じがしたね。あの頃の若手監督では別格に見えた。俺も監督二年目で若かったから、大和屋には脅威を感じたよ。
『荒野のダッチワイフ』は封切りでは見てないな。仕事が忙しくてね。『毛の生えた拳銃』は蠍座で見た。いたいたしい感じだね。男優はみんないいんだけれども、女優がダメだよ。あの頃は芝居のできる女優がみんなやめて、ピンクにはろくな女優がいなかった(注1)。でも俺があの映画を撮るなら、もっといい女優を探してくるよ。
乱交パーティーの撮影も時間切れという感じだな。ああいうシーンを撮るのは時間がかかるんだ。たぶん一晩で撮ったんじゃないかな。あれは中途半端な撮り方だよ。大和屋ちゃんも出来がよくないってことは分かってたと思うね。俺が飲み屋で大和屋ちゃんに会ったとき、『毛の生えた拳銃』見たよって言ったら、それ以上、話をしないで下さいって顔をされたから。
でも、『毛の生えた拳銃』はいいホンだよね。アウトローの滑稽な友情っていうのかな。もし俺があのホンをもらったら、おもしろがって遊ぶね。借金つくっても撮るよ。
『荒野のダッチワイフ』はこの間、アテネ・フランセで見たよ。よくあんなものを撮らせてもらえたなあ。面白かった……面白かったけれども、話のすじがたどりづらくて、見ているうちに、えッ!?  えッ!?と声が出そうになった。『荒野のダッチワイフ』は『殺しの烙印』と同じ失敗を犯しているんだよ。お客さんが、ああ、面白かった、と素直に思えるような映画じゃない。黒澤明が愛情をこめてヒーローをつくる人なら、鈴木清順や大和屋竺はヒーローをつくらない人だね。
大和屋ちゃんのシナリオ集に載っている『荒野のダッチワイフ』の絵コンテを見て、絵がうまいなと思ったね。でもね、演出論になるけれど、完全に絵コンテどおりに映画をつないでいうと失敗するんだ。絵コンテから逃げられないっていうのかな。監督にとってコンテをかくのは第一じゃない。役者に芝居をつける演出力の方が大切なんだよ。それから監督には現場で次々起きる問題を処理する力が必要だと思う。その点で、監督大和屋竺は神経質で孤独だな。『荒野のダッチワイフ』まではいいけれど、『毛の生えた拳銃』には才能と現場が一つになれない不幸を感じるよ。
それにしても、大和屋ちゃんは俺には『荒野のダッチワイフ』みたいなホンは絶対書かなかったろうね。俺は、『おんな地獄唄 尺八弁天』も、『(秘)湯の町 夜のひとで』も、大和屋ちゃんが好き勝手に書いたホンだと思ってた。けれども今になってやっと、大和屋ちゃんが相手に合わせてたことに気づいた。俺が思いつきでしゃべったことを一つ一つ真面目に受け止めて書いてくれてたんだ。


大和屋ちゃんとの出会いがいつかは忘れたなあ。どこかの配給会社で会ったのが最初かな。それとも、飲み屋で偶然会って俺の撮った『女子大生の抵抗』をほめてくれたのが最初かな。大和屋ちゃんは、あの映画は『肉体の悪魔』ですね、と俺に言った。見破られたね。本当に『肉体の悪魔』のいただきなんだ。
『裏切りの季節』を見て、若松孝二の撮った『情欲の黒水仙』を見て――これも面白かったという記憶があるね――、俺は大和屋ちゃんにホンを書いてもらいたいと思った。そうして、昭和四五年に大和屋ちゃんのホンで、『おんな地獄唄 尺八弁天』と『(秘)湯の町 夜のひとで』を撮った。
『夜のひとで』のときには、映画界がどんどん悪い方向に行くんじゃないかという感じがあった。俺の中に、かならずどんな活動屋も活動がつくれなくなるときが来る……、という思いがあった。そんなことを打ち合わせのときに大和屋ちゃんに話したかな。ブルーフィルムを撮る話だから、今村昌平の『「エロ事師たち」より 人類学入門』の逆を行こう、という話もしたと思う。そのときに主人公の男と女の名前も決めた。雀って女の名前は俺が考えて、久生って男の名前は大和屋ちゃんが考えた(注2)。
俺は大和屋ちゃんが書いてきた第一稿をすぐに印刷にまわした。いいホンは第一稿からいいんだよ。第一稿がダメなら、いくら直してもダメだ、というのが俺の考えだからね。雀が死ぬラストの画は、大和屋ちゃんのホンを読んですぐに決まったよ。売春婦に身を堕とした雀が河原にふらあっとやって来る……。すると、活弁が久生の声でどこからか聞こえてくる……。もう頭の中で音楽まで決まってるんだ。
大和屋ちゃんのホンでは、雀の最期は「ボロくずの山がある/犬、しきりにボロ布をくわえてひっぱる/中から安らかなかおの雀の凍死体が現れる」となっている(注3)。それを俺は、雀が生き別れた久生の幻を見ながら河原で死ぬというふうに渡辺流に書き直した。大和屋にしてみれば、雀はいい女でも何でもない。現実的でたくましい女なんだ。大和屋ちゃんは、雀がぼろぼろになって死ねばいい、と思ってたんじゃないかな。でも、俺は雀をかわいい女にしたかった。俺はセンチメンタルだからね。雀の解釈が甘いかもしれない。
俺は、ドラマってのは「別れ」だ、と思ってるからね。昭和十八、九年、子どものときに学校さぼって浅草で見た映画を体がおぼえてるんだ。『望郷』や『河内山宗俊』のラスト……ああいうのが映画だ。生きるはかなさ、もの悲しさ……言葉じゃいいきれないけれど、そういうものに酔ったんだよ。ドラマってのは「別れ」だ。別れがあって、時が過ぎていくってのがドラマだな。
『夜のひとで』の試写にはチョク(山本晋也)も来た。見終わった後、やつは負けたって顔してたなあ。大和屋ちゃんはどう思ってたんだろう? 雀の死ぬところ、ナツメロかけたのに呆れてたんじゃないかな。でも、俺はあのとき、どうだ、いいだろうっておめでたい顔をしてたから、ひとの言葉なんか聞いちゃいなかった。大和屋ちゃんは打ち上げのときに、「よかったですよ。ぼく、傑作書いちゃったなあ」なんていってたけれど、あれは嫌味だったのかもしれないな。
『夜のひとで』は今では最後まで見てられないね。脇役のトリ金の演出がなってないな。雀と久生がエロ写真を撮るところ、ホンには「次々と続く地獄のポーズ」と書いてある(注4)。大和屋ちゃんは生きる苦しみを撮れって言いたかったんだろうけれど、そういうふうに撮っているかなあ。おれは雀と久生の二人のカットと浮世絵を交互に見せて、アイデアに走りすぎたかもしれない。ラスト近くでブルーフィルム男優の源ゴロが自殺するところも唐突だな。俺は源ゴロの自殺を削ってくれと言ったんだけど、大和屋ちゃんは拒否した。だから、源ゴロの自殺は狂気の世界なんだと自分に言いきかせて撮った(注5)。俺は大和屋ちゃんのホンを理解してなかったと思うね。この間、アテネ・フランセでやったときも、雀が死ぬところまで来ると、恥ずかしくて外に出てしまったな。
『夜のひとで』の四年後、俺は荒井晴彦のホンで『性姦未公開図』ってちょっと評判になったのを撮った(注6)。ダビングのときに大和屋ちゃんが遊びに来て言ったよ。「『夜のひとで』に似てますね。ホンは誰です?」「荒井だよ」「ああ、そうですか。荒井くん、いいホン書いてるなあ」。俺は大和屋に早く帰れって言いたかったよ。大和屋のいうとおり、『夜のひとで』の二番煎じなんだからね。
その翌年かな、大和屋ちゃんが渡辺さん向きのがあるからって、ホンを持ってきたことがあった。日活で白井伸明が撮るはずだった「ふるさとポルノ記 南国おんな巡礼」(注7)。久生と雀がドサまわりの芸人で出てくるホンだった。男が憧れの女を祭の中で見つけるんだが、女は人ごみの中に消えて行く……という印象的なラストだったよ。


『おんな地獄唄 尺八弁天』は、石森史郎のホンで撮った『男ごろし 極悪弁天』の続編でね(注8)。『極悪弁天』は弁天の加代と親分を切ったヤクザの話だった。これが好評で続編をつくることになったんだけれど、パート2は最初のよりボルテージが落ちる危険が多い。それで、いい作家のオリジナリティがパート2には必要だってことで、大和屋ちゃんに『尺八弁天』のホンを頼んだ。
『尺八弁天』は小川徹が加藤泰に見るようにすすめたんだよ。加藤泰さんは、かなわないな、と言ったそうです。かなわないなっていうのは、緋牡丹博徒のホンは『尺八弁天』のホンにかなわないってことだと思う。『尺八弁天』のときには、緋牡丹博徒のことが頭にあったんだ。女ヤクザがお竜さんみたいに偉いわけがない。男に惚れても、背中に刺青があっちゃあ、うまくいくわけがない。一つ屋根の下に住めるわけがないと思った。それを打ち合わせのときに大和屋ちゃんに話して、ホンを書いてもらったんだ。
大和屋ちゃんの書いてきたホンを初めて読んだときにはふるえたね。『尺八弁天』は俺へのラブレターですよ。いい台詞ばっかりだし、主人公のまわりのキャラクターもいい配分で書けている。山中貞雄の時代劇の粋さに負けていないと思った。どうしてもやりたいから、俺は予算オーバーを覚悟で撮ることにした。大和屋ちゃんのホンだと、いつも五十万から百万くらいオーバーするんだ。オーバーした分は次の映画を安く仕上げて穴埋めしたけどね。
撮影のときにはみんなのってたなあ。国分二郎のセイガクが香取環の弁天の加代の刺青を闇の中で見ようとして、「明かりが欲しいところだな」って台詞を言うんだけれども、これがスタッフの間ではやってね。照明の話になると、みんな、「明かりが欲しいところだな」なんて言うんだよ。役者も自分の演じる役にのめりこんじゃってね。助監督の稲尾実が、監督、楽屋の様子がおかしいですよって言うんだ。ライバル心を燃やして、楽屋で誰もしゃべらないんだよね。
物語の後半、弁天の加代が囚われの身の少女を助けに行き、蝮の銀次ってヤクザを切る。セイガクには離れたところにいるのにそれが分かるんだよね。「蝮が一匹……」と言って尺八を吹く。すると、今度は弁天が「ああ、そこだね、今行きますともさ、吉祥天のお人……」と言う。遠く離れているのに気持ちが通じ合ってしまうというのかな。ああいうところが大和屋ですよ。大和屋ちゃんは普段は難しいことを言うけれど、本当は超ロマンチストなんだよね。
大和屋ちゃんのホンでは、最後の立ち回りはセイガクの爆薬をつめた尺八が爆発して終わることになっている。爆弾なんか、できるかよ、こんなもん、と切っちゃったなあ。俺は大和屋ちゃんに「これじゃ、劇画だよ」と言った。大和屋ちゃんは「そうですかあ?」なんて言ってたけれどね。大和屋ちゃんなら、『尺八弁天』を劇画ふうに撮ってたかもしれないな。
俺は最後の立ち回りを渡辺流に直した。刺されて瀕死のセイガクのもとに弁天がやってくる。弁天はヤクザたちと戦いながら、「立つんだよ、吉祥天の!」とセイガクに呼びかける。でも、セイガクは死んでしまう。「弁天、俺を呼ばないでくれ……」と言いながらね……。このセイガクの台詞は泣けるな。俺は弁天とセイガクの別れが撮りたかったんだ。
『尺八弁天』の撮影では最後にラストシーンを撮った。街道で空を見上げながら弁天がつぶやく。「仏さん、お慈悲ですからさあ」。この台詞には一番酔ったなあ。それから弁天は地獄唄を唄いながら歩く。それを移動で撮ってるうち、涙が出てきた。俺は同じカットをもう一度撮った。『おんな地獄唄 尺八弁天』って映画を撮り終えたくなかったんだよ。
(94・9・29 市ヶ谷にて 聞き手:井川耕一郎)

注1 渡辺護は、『映画芸術』70年11月号に掲載されたエッセイ「何が難しいことだって ピンク監督の弁」の中で、60年代のピンク映画のベッドシーンと女優の変遷について書いている。

注2 鈴木清順によると、大和屋は登場人物の名前にこだわる脚本家であったという。そういう彼にとって、雀と久生は愛着のある名前だったらしい。『野良猫ロック セックス・ハンター』(70・長谷部安春)の準備稿ではスケバンの一人に雀という名前を、『大人のオモチャ ダッチワイフ・レポート』(75・曽根中生)ではダッチワイフづくりの名人に久生という名前を与えている。

注3 大和屋竺のシナリオでは、雀の最期は次のようになっている。

65 雀のかお
  みちがえる程やつれている。

66 射的屋の中
  点取りをしている雀。酔客、銃で雀を狙い撃つ。コルクの弾丸、股に当る。
  酔客たち、大笑いする。
  雀、ゆるゆる笑うような顔になる。
  戸田、酔客に何か囁く。
  雀、出てきて酔客と肩を組む。
  酔客、戸田に札を手渡す。
  もつれ出てゆく二人。
  戸田、コルク銃で人形をジックリ狙い射ち落とす。

67 狭い部屋
  座布団に仰向き、下着をたくし上げ、無表情に酔客を迎え入れる雀。

68 キイクラブのステージ
  覆面の男たち(タンクとマツキ)に縛り上げられ鞭打たれる雀。奔り、滲む血。
  苦悶と恍惚が雀の表情に微かに往き来する。闇に血走ってみつめる男たちの眼。
  雀、男たちの影に久生の幻を見る。
  雀、身動きならん体でにじり寄ろうとうごめく。
  男たちの足が蹴りとばす。雀、血を吐く。
  闇がくる。

69 温泉郷の一角
  冬の軒端。
  通行人の袖をひく雀。振り払う通行人。
    ×    ×   ×
  ボロくずの山がある。
  犬、しきりにボロ布をくわえてひっぱる。
  中から、安らかなかおの雀の凍死体が現れる-深くO・Lして、

70 一枚の写真
  あどけなく眠る雀を見守って何か瞑想にふけっているような男(久生)のかお。
      ――エンドマーク。

ちなみに、戸田を演じているのは渡辺護。

注4 大和屋竺のシナリオでは、エロ写真を撮るシーンは次のようになっている。

17 ○○旅館・一室
  三脚つきのカメラがセルフタイマーのシャッターの音を響かせる。
  ポーズしている久生と雀。
  ジー……カシャッ-
久生「次はブワーッといこうかな」
雀「こうかい?」
久生「それよ」
  久生、自作自演、ライトの位置を動かし、カメラを操作し、雀の足首をつかむ。
雀「ブワーッとね」
  ジー……カシャッ-
  次々と続く地獄のポーズ。
  あくどく塗り上げた化粧。小道具のとり代え――言葉すくなに、燃えるでも冷えるでもない、二人の男女ののろのろした動き。
雀「まとまったお金掴んだらまた東京へ帰ろうね、あんた」
久生「ん?」
雀「ああ退屈だ」
久生「ここの湯は肌に良いんだそうだ」
雀「そお?」
久生「気のせいかなあ。おめえ、白くなったんじゃねえのか?」
雀「もとから白いのよ」
久生「そうだったかなあ……明日は引っ越しだ」
雀「……ん……」
  雀、スヤスヤ眠りこむ。
  久生、その顔をのぞきこむ。
  ジー……カシャッ-
  画面、ストップする。

注4の補足 『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』(12)の中で、渡辺護は『夜のひとで』のエロ写真を撮るシーンに関連して次のようなことを話している。

井川「エロ写真を撮るところがありますよね。ふっと久生が雀を見ると、雀が寝ているっていうところ、ありますよね」

渡辺護「こわいよね」

井川「ああいうところっていうのは見ていて……、こういうことを渡辺さん自身がピンク映画の現場で体験していて、(それが)どこか反映しているんじゃないかなと」

渡辺護「それはね……、ピンク映画撮ってると、徹夜徹夜になるじゃないですか、若い頃は。
もう年とると、インチキやって、手抜きやるけどね。パッパッパッてやって、ああ、ちょっと時間になってきた。じゃあ、手抜きやるか。中抜きやろうってんで、「はい、アップ」「EX」「EX」って撮っちゃうけど。
最初の頃はね、一生懸命撮ってましたから。
そうするとね、白川和子なんかね、(ベッドシーンで)もだえるわけですよ、夜中の二時か三時に。「はい、もだえて」と言うと、「ああー」ってもだえるわけよ。
で、「カット」「フィルムチェンジ」ってのがあるじゃない。フィルムチェンジするじゃない。
その間ね……、白川和子、カーッて寝てんだよ。それから、キャメラマンが(三脚のグリップを握る格好をして)こうやって寝ちゃってんですよ。そういうとき、ありましたからね。
それで、助手がフィルムチェンジを終えて、「はい、お願いします」(と言って、撮影再開)。
(おれが)「はい、行くぞ。おい、お和、こら」って言うと、(白川和子が目を覚まして)「え? はい」
「じゃあ、行くぞ、お和」で、(白川和子が)「ああー」ってもだえるんだよ。
で、(カットが)終わると、また寝るんだよ。
おれね、その寝顔を見てね……、何てえの……、ある恐さ……、何か理論的にじゃなく……。
それで(撮影が)終わると、(白川和子は)「お疲れさまでした」って(明るい顔であいさつして)、前貼りをはがそうとして、「あっ、イテっ。毛が抜けちゃった」
お和ってのは、本当にひとがいいからね。で、亭主が助手なんだよ。キャメラ助手。
「もう、前貼りが痛いから、なしでいっていい?」
「うん、そうした方がいいよ」
ずいぶん変な夫婦だなあって思ったよ」

注5 大和屋竺のシナリオでは、源ゴロの自殺のシーンは次のようになっている。

63 街の中
  チンドン屋行く。忠治姿の源ゴロ、列を離れる。不気味に光る眼。
  通学帰りの女高生を狙っている。
  女高生気がつかずに行く。

64 野の道
  女高生、気づく。
  恐ろしい白粉だらけの顔をした源ゴロ、竹光を抜き、襲いかかる。
  女高生、叫び、逃げる。
源ゴロ「生娘か、生娘か、お前生娘か。そうか生娘か……」
  竹光で斬りつける源ゴロ。倒れる女高生。
  失神し、泡を吹く。
  源ゴロ、泣き吠え、のしかかり犯す。
  忠治のマゲのカツラ、転がる。
  ヒクヒク起きあがりカツラを後まえにかぶる源ゴロ、竹光で大敵を前にしたようなそぶりで歩きまわる。
  女高生、血まみれの失神から覚める。
  凄い絶叫をあげる。
    ×    ×   ×
  目の上の木の幹に竹光を腹に突き刺した源ゴロの首吊り死体がぶらり揺れている。

注5の補足 『渡辺護が語る自作解説 エロ事師を撮る』(13)の中で、渡辺護は次のようなことを語っている。

渡辺護「源ゴロの自殺するシーン――これ、分からないから、(大和屋竺に)「どういうこと?」って何回も訊いた。
「別にそう思って書いたんでね、別にどうってことはないんですよね」ってそういうふうに(大和屋は答えた)。
「これ、分からないんだよ」って言ったら、「分かんないって……、思いつきで書いてんですけどね」って言うんだよ。
「思いつきで、ぱっとやったんで、そういうことなんですけど、分かりませんか」
「いや、分からない」
そういう押し問答が長く続きましたよ。もう忘れたけど、いろいろ……押し問答が続いて、いろいろ質問しましたよ。
今、何を質問したのか(忘れたけれど)……、「撮れねえ」って言ったんだよ。
「現場でもって分かんないで脚本どおり撮ってもさ、みんなにバカにされる話だから、頼むから教えてくれ」って、そういう言い方をしたのはおぼえてますよ。
そうしたら、大和屋さんが「そうかなあ……、まあ、言ってみれば、狂気の世界ですからねえ」って言ったんだよ。
「早く言ってくれよ。分かった! できた!」
で、印刷(にまわした)」

注6 当時の批評(斎藤正治・キネマ旬報七四年十一月上旬号)によると、『性姦未公開図』は次のようなストーリーだった。

ブルーフィルム界の黒澤明と評価される主人公の大貫文吉は、デカとの約束でメガホンを捨てた。ひそかに撮っても、その世界の男やワイセツ係のデカが見ると、ひと目で彼の作品だとわかってしまう傑出したウデを持っている男である。ドサ回りも食いつめて、浅草に戻ってくる。舎弟とその情婦の暮らしもみなければならないのだが、義理がたい彼はメガホンだけはとろうとしない。
食いつめた舎弟が組を通さずに映画を売りさばいてしまうという不始末をしでかした。彼はその落し前のために禁忌を破って一本演出、義理あるデカにしょっぴかれていった。
義理と人情の板ばさみを地でいった古風な主題に似せて、渡辺は、あくまで静ひつに、男や女や浅草を写しだしていく。(略)「カメラをやたらブン回してみたり、アップばっかりつなげてみたり、ハッタリってもんだぜ。味がねえよ、味が」と文吉はつぶやいた。この述懐はそのまま渡辺護の自負であり、『性姦未公開図』の方法ともなっている。

注7 「ふるさとポルノ記 南国おんな巡礼」(75)のストーリーは次のとおり。八幡浜で売り出し中の芸妓花子は、花電車の名人で少し頭の足りない雀とその養父久生と知り合う。ドサ回りの身の上に同情した花子は久生たちに自分の客を紹介する。だが、雀から愛を告白された久生は稼いだ金を花子に残して、雀と二人、巡礼の旅に出る。それから数ヶ月後、花子は祭を見物する群衆の中にお遍路装束の二人を見つける。花子は人をかきわけ、そばに行こうとするが、久生と雀は微笑み、頭を下げると、幻のように群衆の中に姿を消してしまう。

注8 渡辺護の弁天の加代シリーズは全部で三本ある。第三作は72年製作で林美樹主演の『濡れ弁天御開帳』。

注8の補足1 『男ごろし 極悪弁天』、『おんな地獄唄 尺八弁天』に関する渡辺護の話には、記憶ちがいがいくつかある。『男ごろし 極悪弁天』のあらすじを知りたい方、渡辺護が大和屋竺のシナリオをどのように直してクライマックスの立ち回りを撮ったのかを知りたい方は、「『男ごろし 極悪弁天』から『おんな地獄唄 尺八弁天』へ」をお読み下さい。

注8の補足2 渡辺護によると、『濡れ弁天御開帳』(72)はウィリアム・ワイラー『大いなる西部』のイタダキ。阿部桂一がシナリオを書いたが、渡辺護がねらっているものとはちがっていたので、全面的に書き直して撮影に入ったとのこと。

注8の補足3 1971年に渡辺護は東京興映で『観音開き 悪道女』を撮っている。これは、東京興映の社長で監督の小森白に、「うちでも弁天の加代みたいなやつを撮れ」と言われて監督したものだという。『観音開き 悪道女』に関する基本情報は次のとおり。

『観音開き 悪道女』
1971年・東京興映
監督:渡辺護
脚本:阿部桂一
撮影:古川丈夫、照明:斉藤正治
出演:林美樹、武藤周作、東由里子、吉田純、長岡丈二

mixiに書いていた渡辺護自伝的ドキュメンタリー製作日記の中に、『観音開き 悪道女』のあらすじをまとめたもの(2010年5月6日)があったので、以下に載せておく。

町はずれの道で、ゆみは猪吉と又次につかまり、藪の中に引きずりこまれる。
猪吉たちがゆみを犯そうとすると、チャリン!と背後で音がする。ふりかえると、錫杖を持った尼僧(ふじ)が立っている。
「やい! 乞食坊主! 見せもんじゃねえんだ!」
ふじを突き飛ばそうとそばによる猪吉。だが、逆に脳天に錫杖の一撃を受けてしまう。
ふじ「いい男が、力づくで女子を手ごめにしようなどと」
猪吉「この娘は、身売りすることが決まってるんだ」
ふじ「あの娘は私が買い戻します」
又次「百二十円だぜ!」
金はかならずつくると約束して、ふじはゆみを家まで送っていく。

竜神の松五郎の賭場――。
練三郎は端で膝を抱いて高見の見物をしていた。
辰「旅人、お遊びにならねえんで?」
練三郎「しばらく見物させて頂きます」
そこに尼僧姿のふじが入ってくる。好奇の目で見る一同。
辰「はい、出来ました」「勝負!」「○○の丁」
微笑するふじ。
ふじは勝ち続け、目の前に山の様に銭札が積み上げられる。
すると、松五郎が辰に目で合図をする――それをふじは見逃さなかった。
ふじ「私は、これでやめさせて頂きます」「気が進みませぬので、これにて」
辰「親分さん、この坊さんは、あたしの壺じゃ嫌だと仰有りてえらしいですぜ」
松五郎「このまま引き上げられちゃ、面子が立たねえ。どうでももう一勝負おつきあい願いますぜ」
ふじ「親分さん、私に壺を振らせて頂けますなら」「誰が振っても、サイの目は運まかせ」「それがかなわなぬとあれば、勝手ながら―」
松五郎「ま、待ちなせえ―よし、いいだろう、おやんなせえ」

ふじはふところ手した手を胸許から突き出したかと思うと、スッポリ双肌脱ぎになる。
ふじ「よござんすか、よござんすね」「勝負!」
勝負は松五郎の負け。だが、アッと声をあげる松五郎の横で辰が「待った!」と叫ぶ。
辰「つまらねえ小細工はするなと申し上げましたぜ」「おう、イカサマサイを、体の何処かに隠しやがったんだ」
松五郎「改めさして貰うぜ!」
ふじ、スーッと立ち上がると帯をとき、裸になる。だが、着ていたものの中からは何も出てこない。
ふじ「フン、どうだい! 奥の院まで拝ましてやらあ」
大の字に寝て股をひろげるふじ。
辰「(うめく様に)俺の眼違えだ」
ふじ「どうしてくれるんです? 親分さん」
松五郎は奥の部屋でふじに厚い札束を差し出すしかなかった。

その帰り道、ふじの前にピストルを持った辰が現れる。
辰「生命ごいはしねえのかよ! なめやがって、地獄へ落ちて、てめえで経でもあげやがれ!」
そのとき、物陰から男が飛び出してきて、辰の腕をねじりあげる。男は賭場にいた練三郎だった。
ふじ「有難うございました」
練三郎「フフ、借りは返して貰う、来な」

練三郎は宿屋にふじを連れていく。
ふじ「(苦笑して)体で払えってんだね、お待ちよ―」「なんだい、いい年して、ガッついて、お待ちったら!」
だが、練三郎はかまわずふじを押し倒し、股の間に手をつっこむ。
ふじ「ダメ! 後生だよ、やめて―、ア、アー!」
練三郎の手の上で濡れたサイコロが光っていた。
練三郎「すめくらサイだね」「奥の院のそのまた奥に鎮座ましましてたってわけだ」
練三郎はふじのことをとっくに見抜いていた。極道の竜巻おふじ――それが彼女の正体だったのだ。
「どうともしやがれ」と裸になって横たわるふじ。
ふじ「云っとくけどね、あたしは男が大嫌いんなんだよ」「フン、無駄だよ、感じやしないんだから」
練三郎「俺は―こういう、湿った生木みてえな女を燃え上がらせるのがうめえんだよ」
練三郎はたんねんにふじの体を愛撫する。
不快そうに眉をひそめるふじ――そのとき、ふじは過去をふいに思い出す。
十七のときに墓地で中年の僧にむりやり処女を奪われたことを――
その中年の僧の背中にかんざしを突き刺して殺したことを――

お尋ね者となったふじは体を売って生きていくしかなかった。
橋の下で男の愛撫に身をまかせながら、右手に握りしめた十銭銅貨をじっと見つめるふじ――
宿屋で旦那ふうの男に抱かれているバクレン女のふじ――
ふじは布団の下に隠したドスをそっと握ると、男の脇腹に突き刺す。そして、汚いものでもふりかはらうように旦那の体から離れると、金を奪い取るのだった――

気がつくと、ふじは練三郎の愛撫に燃えあがっていた。
練三郎の肩口に噛みつき、けいれんして叫ぶふじ。
果てたあと、ふじは枕もとにあった練三郎のピストルを握ってかまえる。
ふじ「―畜生! 殺してやる!」「人を―なぶりものに、しやがって―」
練三郎「そんなに口惜しいのかい、俺に抱かれてよろこんだことが」「女なら、当りめえの―」
ふじ「お黙り!」
ふじは目をつぶって引き金をひく――だが、不発だった。
練三郎「俺の勝ちだぜ」
練三郎は着物を着ると、部屋を出ていった。

宿屋を出た練三郎はゆみの家にいた。
ゆみは練三郎の亡くなった女房・きぬの妹だったのだ。
練三郎「きぬには散々苦労させちまった」「だから、せめて妹のおめえには幸せになって貰いてえんだ」
ゆみ「兄さん―」
練三郎にもたれかかるゆみ。練三郎はゆみを抱きしめ、押し倒すが、ハッと我にかえり、体を離す。
練三郎「いけねえ、俺ア―、きぬんこと抱いてるつもりになってた」

練三郎はゆみに宿屋で待っていろと言って、松五郎の賭場に行く。
ゆみのために金をつくろうとする練三郎だったが、負けてばかり。
練三郎「親分さん! コマを廻しておくんなさい」「親分さん、訳がございまして、どうしても―」
松五郎は奥の部屋に練三郎を連れていく。
松五郎「あの尼を斬ってくれ」「百二十両、耳を揃えて差し上げようじゃねえか」
練三郎「やりましょう」

ケンカ支度をして松五郎の賭場から出て行く練三郎。
すると、入れ違いに猪吉が松五郎のもとにやって来る。ゆみが宿屋にいると告げると、松五郎はニヤリとする。
松五郎は宿屋に乗りこむと、ゆみを呼び出す。
松五郎「どうせ明日から、客をとるんだ。じたばたするんじゃねえ!」
松五郎はゆみをむりやり犯してしまう。

翌日、ふじはゆみを探して町はずれまで来ていた。
林の中の道を歩いていると、目の前に練三郎が現れる。
練三郎「少し歩かねえか」「昨夜は―、悪かったな」
ふじ「(恥じらい)フフ、私、考えてたのさ、―この年になって、女になったんだよ」「極道から足を洗おうかな、なんてね―、あんたに―、惚れちまったらしいよ」
するとそのとき、練三郎がふいにドスを抜いて突きかかる。
ふじ「どうして―、どうしてなんだい!」
練三郎「訳があるんだ! 生命を貰うぜ!」

ここからは先は阿部桂一のシナリオを引用することにしたい。

36 林の中の道
(あらすじに記した前半部分は省略)
ふじ「(涙ぐみ、かわし乍ら)あんたを斬りたかないんだ、あんたを―」
  練三郎、狂気の様に突きかかる。
  ふじ、眼をつぶって払う。
  練三郎、斬られて、よろめく。
ふじ「アッ!」
  練三郎、よろめいて、松の木にもたれかかる。
  ―と、その樹の枝から女がブラ下がっている。
  練三郎、見上げるが、
練三郎「あッ!―ゆみ!!」
  ふじも愕然となる。
  練三郎、よろめき乍ら、ゆみの体を抱き、
練三郎「ゆみ! 間に合わなかったな」
  練三郎、喘ぎ乍ら、
練三郎「おふじさん―こいつを身受けする銭が―欲しかったんだ―かんべんしてくれな―」
  ふじ、練三郎を抱き、
ふじ「あんた―そうだったのかい―」
  バラバラと松五郎以下、駆けつける。
松五郎「チッ、構うことアねえ、眠らせろ! なんなら、生け捕っていたぶってからでもいいぞ」
  ダダッととり囲む。
ふじ「うるさいね!」
  乾分たち、退る。
ふじ「―あんた、私も、この子を買いもどそうと思って、一日探したんだよ」
練三郎「そ、そうかい―おふじさん! おめえさん! いい人なんだな―」
  ガックリとなる。
  ふじ、グイと涙を拭い、立ち上がり、
ふじ「ドイツもこいつも死にたいらしいね! おいで! 引導渡してやるから!」
  怒りをぶちまける様に錫杖の仕込みを振う。
  斬る、斬る。

(このあと、渡辺さんが芝居を加筆している。加筆内容は以下のとおり。
  皆、斬られる。
  ふじ、死んだ練三郎にそっと接吻する。
ふじ「あたし―惚れたんだよ、あんたに―はじめて、女にしてくれたあんたに―」
  後ろから、辰、ダーッと斬りかかる。
  ふじ、斬り捨てる。
  涙でいっぱいで立っているふじ。)

37 遠くへ続く道
  ふじ、歩いて行く。
  立ち止まって振返る。
  じっと街並みを見つめる。
  向き直ると、歩きだす。
  チリンチリンと去って行く。
      終り

昨日の『おんな地獄唄 尺八弁天』の紹介のときに、弁天シリーズを構成する要素を「姿を変えること」、「少女の救出」、「復讐すること」、「互いに強く惹かれあうライバル関係」、「ライバルの死を見ること」の五つだと書いたけれども、『観音開き 悪道女』にもこれらの要素はすべて入っている(「少女の救出」については、結果的に失敗してしまうのだが)。
というわけで、『観音開き 悪道女』は弁天シリーズの一本と見なしてしまってもかまわないのではないだろうか(『弁天御開帳』の主演は、『観音開き 悪道女』と同じ林美樹でもあることだし……)。

それにしても、興味深く感じたことが二つある。
一つは、ヒロインのふじがヤクザになるまでの過去が描かれていること。これは『尺八弁天』のさよ――刺青を入れて強くなると宣言したさよをもとにして生まれてきたアイデアのような気がするのだが、どうなのだろう?
もう一つは、最後の立ち回りの中で、死を見ることが反復されていることだ。ゆみの死を練三郎が目撃し、その練三郎の死をふじが目撃する――死を見つめることに対する渡辺さんのこだわりはかなり強いものだと思う。このことについては、『あばずれ』や『情夫と情婦』を論じるときにあらためて考えてみなくてはいけないだろう。