エッセイ『何が難しいことだって ピンク監督の弁』(1970年)

(このエッセイは、『映画芸術』1970年11月号に載ったものです)

男のオチンチンを立たせっぱなしにすることは、難しいことだ。社会の風俗現象の変化とともに、そのオチンチンの立ち具合も変化するものであって、やたら、脱がせ、やたら、アソコを見せりゃいいってもんじゃない。
五年前といや、女優では、松井康子、香取環、可能かず子、城山路子、新高恵子、橘桂子なんて女優がいて第一線でヤっていた。この頃、女優を脱がすなんてえのは、そりゃ、タイヘンなことだった。今でこそ、パッパ、パッパ脱ぎよるが、あの頃は、もう撮る方も撮られる方も緊張感があって、ピシッとしていた。
だから、濡れ場がはじまるといよいよという感じで、今まではしゃいでいた女優などは、だんだん無口になって、現場全体が、静かになっていく。そこで一服。そんな時、たいてい年とった照明のおやじさんが、クチをきる。
「いよいよ、あれですね」ジロッと女優は、カントクを見る。カントクは、さりげなく、何でもないように「じゃ、取って……」サッと助監督は、バスタオルを女優の体にかけてやる。女優は、カンネンしてゆっくり、ゆっくり脱ぎはじめる。脱ぎ終わるか終わらないうちに、カントクは、きびしく、「テスト!」これで決まりである。助監督その他若いもんたちは、部屋をでて、終わるまで待機する。(現在は、そんなことはない)女優は、終わると、タイヘンな仕事でもしたような顔で、ホホなどを赤らめて、控え室に駆け込んでいったものだ。そして、後でしきりに、助監督たち待機組は、ライトマンたちにきく。
「どのくらいまわりました? 六百フィートも? スゴかったでしょう?」
「シツコイ、シツコイ」――てな具合だ。まア、こんなムードで、あの頃の撮影は行われたものだった。ベッド・シーンは当時は、三時間、時には一日がかりであったけれども、女優サンたちには、ずいぶん親切であったようだ。
その頃の契約条件として、一本につき、ベッド・シーンが、三シーンが、必要条件として含まれていた。この頃のピンクは脱ぐことよりも、むしろ、脱ぐまでのプロセスと語り口が、重要なポイントを占めており、そこには、女優のエンギってものが、要求された時期であった。だから、この頃の女優は、なぜ脱ぐのかその必要性を理解しないと、ナカナカ脱いでくれなかった。
それから二年後になると、ちょっと様相も変ってくる。いわゆる、脱ぎゃイイという時期。これでもか、これでもか――とトントン客に見せるわけだ。それまでは、オヒップの割れ目は認められなかったが、この時期から黙認される。
ストーリーやドラマは、二義的になり、徹底的に、ハダカで勝負するわけである。映画もコリにこったベッド・シーンが多くなり、八シーンぐらい増える。
「カントク? 今度は、どんなテでいきますか?」
「への三番ですか?」――てなことを助監督が、いう。への三番というのは、ベッド・シーンの一つのテで、向井流、山本流てな具合に、各カントク独自の勝負のベッド・シーンのテだ。ちなみに、わたしのへの三番ってヤツを一つだけ紹介しておく。まず、枕からパン。すると男と女が、とんでもない方向で、しかもメチャクチャに激しくナニをやっている。
しかし、それがどういう状態であるか定かではない。四つの足が、からみ合っている。モゾモゾしている。まだ、どういうラーゲでやっているかわからない。
次に、女のエクスタシーの表情。女のオッパイのアップ。そこに、はじめて、男の顔がオッパイの陰に見える。――と、なぜかフトンが、ずれて、待ってましたとばかり、男と女のフルショット。ラーゲが、分る。女の背中。女のウェスト。もっともその女の美しく色っぽい所をねちっこく追う。男の手が女の肉をギュッ、ギュッとつかむ。女、アッアッアッ。ここが勝負所だ。ギュッ、ギュッ。アッアッ。ギュッ、ギュッ。アッアッのカットバック。これでもか、これでもかとトコトンいくわけである。(注、ついでだからいうが、わたしは、あと八つぐらいのパターンをもっている。あとは教えるか。だいたい六つぐらいもっていると、まア、八年位は、この世界でカントク食っていけるというけどね……)
この時期から、今までエンギ派といわれた松井康子たちが、脱ぐことの慢性化にアキて去っていった。女優の方も次第に、タイプが変り、エンギ派から肉体派(?)の女優が多くなる。肉体派といや、カッコイイが、いうてみれば、とても使えそうもない女優のことをいうのだ。しかし、暗い役者根性は、全くない。ある女優のエピソードをひとつ。
独立チェーン独特の海岸シーン。
「カントク? 砂が、ジャリジャリ入ってきて、痛いのよ。ケガしちゃうわ。責任もってくれる? 傷ついたら?」と、きたここまではよい。
「ねえ、こうなのよ!」と、ガバと、オ××コを見せる。こんな光景は、五年前では、けっして見られなかったことだった。これを境に、バスタオル不要の女優(?)がぞくぞく誕生することになる。
谷ナオミ、林美樹、祝真理、辰巳典子、一星ケミなどが、活躍したが、五年前の女優でわずかに残ったのが、香取環に清水世津ぐらいである。
そして、現実はどうかというと、全くのノースター時代。これといった決め手になるスターが、いない。逆に、ポッと出の女優(?)が雨後のタケノコのように生れる。その現象は、ますますひどくなる。だから、撮影現場では、時々、全くチンプンカンプンなハプニングが続出する。脱がないでイイ――というのに、どうしても脱ぐといってきかないヤツ。理由を聞くと衣裳を忘れたといやがる。これなんか、まだ可愛い方だ。ある女のコなんか夏、江の島にロケに行った時など、撮影の途中で、男を見つけ、トンズラしたりする。冷汗ものである。これ以上書くと、グチッぽくなるのでやめるが、とにかく、ますます女優(?)諸君のハッスルぶりはエスカレートするばかりである。
ピンク映画の変遷は、畢竟ピンク女優の変遷でもある。そしてオチンチンの立ち具合の変遷でもある。よく、ピンク映画のこれからは? なんて聞かれるが、はっきりいって、何ともいえん。ある日、男の俳優とヤキトリ屋に入って酒を飲んでいたことがある。彼には、たくさんのファンであり友達がいることにおどろいた。酔っぱらいの一人が、いったもんだ。
「こないだの『女湯・女湯・女湯』のおまえさんは、おもしろかったねえ。ウマイよおまえさんは。うまいなァ、ベッド・シーンがよ。お風呂にサ、コショウ入れたろう。それで、女たちのオ××コがヒリヒリしてサ。おまえさんが、きてよ。水で洗ってやったろ。あれオモシロかったよ。うまいストーリーを考えるよな。あんときァ、バッチリ見ちゃうんだろ? いいよなァ……ま、ヤキトリ食いなよ」
そんな調子で閉店まで続く。
そこには、加山雄三もいないし、藤純子もいない。きれいなドレスもなければ、スター千一夜もない。ハダカ同志の人間があるのだ。ハダカこそ可能性だ。最近、なんだかんだと、警視庁のクソ役人どもが、アナクロもはなはだしく、シャシャリ出ているが、あの役人どもは、てめえの女房と夜、ネクタイをしたままで、ナニをやっているのだろうか。もっと、ハダカをどんどん見せてあげようじゃないか。現代にオ××コもオチンチンもあるもんか。そうだろう? ヤキトリ十本のスポンサー、ファンよ。