『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』

『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』
(2012年・138分)

出演・語り:渡辺護
製作:渡辺護、北岡稔美
撮影:松本岳大、井川耕一郎
録音;光地拓郎
編集:北岡稔美
構成補:矢部真弓、高橋淳
構成:井川耕一郎
協力:渡辺典子、新東宝映画株式会社、銀座シネパトス、
太田耕耘キ(ぴんくりんく編集部)、林田義行(PG)、福原彰、
荒木太郎、金子サトシ、宮田啓治、鈴木英生、高橋大祐、映画美学校

渡辺護自伝的ドキュメンタリープロジェクトの第二部をピンク映画史にすることは、早いうちから決めていたことだった。
渡辺さんならピンク映画史が語れるだろう。そう思ったのは、『映画芸術』1970年11月号に載ったエッセイ「何が難しいことだって ピンク監督の弁」を読んだときだ。
ピンク映画の現場を面白おかしく紹介することをねらったそのエッセイは、短いものではあったけれども、ベッドシーンの撮り方や女優のタイプの移り変わりを具体的な例をあげながら書いていた。それはピンク映画史を記述する試みでもあったのだ。

第二部にとりかかる前に考えた方針は、『史記』の列伝のように行こうということだった。つまり、人を語ることがそのまま歴史を語ることになるというスタイルである。
まずは「若松孝二と向井寛」、「小森白と山本晋也」というふうにお題を立ててインタビューをすることから始め、その後は自作解説の流れの中で、スタッフやキャストがどんな人だったかを聞くようにした。
渡辺さんの話は脱線脱線また脱線といった調子で、多くのひと、多くのエピソードが次々と出てきた。それらをすべて第二部にとりこむことはとうていできない。こぼれ落ちた重要な話は第三部以後の自作解説篇でとりあげることになるだろう。

それにしても第二部制作中、ずっと気になっていたことがあった。それはエッセイ「何が難しいことだって ピンク監督の弁」から感じ取れる渡辺さんの目だ。
1970年の時点で、渡辺護はピンク映画の代表的監督の一人となっていたはずだ。監督として脂がのってきた頃である。なのに、遠い昔をふりかえるかのようにピンク映画の現場を見つめているこの目は、一体何なのか?
一気にしゃべりまくるような調子のいい文体で書かれているけれども、このエッセイの裏側には、ひやりと冷たい何かが流れている。
そして、その冷たさは、『(秘)湯の街 夜のひとで』のラストシーンに映る川の冷たさを思い出させるのだが……。

10月の終わり頃、用があって渡辺さんの家を訪ねた。
予想していたとおり、渡辺さんは元気がなかった。
「向井が死んで……野上(正義)が死んで……なんで若松まで……、若ちゃんとは会って話をしたいと思っていたんだ……」
それだけ言うと、渡辺さんは黙ってしまった。
しかし、第三部をつくるうえで確認しておきたいことがあったので尋ねてみると、渡辺さんは次第にいつもの調子を取り戻してきた。
息つぎなしでしゃべり続ける渡辺さんを見て私は思った。
いつまでもしょんぼりしていてはいけないのだ。そんなことを亡くなったひとは望んでいない。生き残った者には語り伝える義務がある。
渡辺さんの語りの中で、ピンク映画の活気がよみがえる。撮って、飲んで、ケンカをしてをくりかえすつわものどもの群像喜劇、お楽しみ下さい。

(井川耕一郎)