『好色花でんしゃ』について(常本琢招)

(以下の文章は2004年に書かれたものです)

「花でんしゃ」ってなんだろう? 正確には「花電車」。お座敷で芸者が自らの性器を使って行う芸のことらしい。性器で筆を挟み、字を書いたり、タバコを吸ったりとかね。しかーし、この映画に、そんな芸は出てきません。ではこの映画で、お座敷で行われることとは何か?シロクロショー……つまりセックスそのものをストレートに見せる芸がこの映画では描かれ、それを行う男女が主役になっているのです。
ですが、そんな男女を主役に据えたポルノ映画は星の数ほどあるわけで、渡辺護映画でも、シロクロショーを行う男女、というシチュエーションは枚挙に暇がありません。そんな時、男役は決まって腰にサラシを巻いた下元史朗で、バックにはなぜか、『上海帰りのリル』がながれ……というのを典型的なシーンとして筆者などは思い起こしてしまうのですが(根津甚八がうたう『リル』が流れたのは、どの渡辺映画だったろう?)、『好色花でんしゃ』では、そこにもう一工夫がなされています。人前でセックスを行う男女を、父親と娘に設定しているのです……義理の関係ですが。

ストーリーはこうです。
舞台は大阪。息子・兵太郎が作った多額の借金のカタに、息子の嫁・丸子(鹿沼えり)が悪徳金融に売り飛ばされそうになるのを見かねた兵助(南方英二)は、他の男に抱かれるならと、自分が丸子とコンビを組んでシロクロショーをしようと決心する。兵助は、丸子に前からひそかに思いを寄せていたのだ。丸子も、兵助をやさしく受け入れる。
二その気になればいかようにも悲劇的なトーンに出来るストーリーですが、作り手はこれを軽いコメディタッチでさらっとまとめています。正直言って本作、渡辺護映画としては『おんな地獄唄 尺八弁天』や『ドキュメントポルノ 制服とパンティー』(1980年)といった掛け値なしの傑作と比べると、完成度の高い作品ではありません。作品の成立過程そのものが、当時放送していたテレビ番組『11PM』が、ピンク映画を応援する「ピンクリボン賞」と連動して仕掛けた映画、11PMの司会者・藤本義一が原作・脚本を担当し、出演はチャンバラトリオ……と企画性の高いキワモノを思い浮かばせます。

しかし、それでも、この映画は筆者にとって今も輝きを保ち続けています。
なぜか?それは、丸子を演じた鹿沼えりの美しさ、その魅力を引き出した渡辺演出の冴えのゆえに他なりません。その逸才にもかかわらず作品に恵まれなかった鹿沼えりの魅力をここまで引き出したのは、私見によると根岸吉太郎『朝はダメよ!』、テレビ・探偵物語の1エピソード『影を捨てた男』と本作しかありません。しかも『好色花でんしゃ』では、都会的で攻撃的な美貌が持ち味だった鹿沼えりから、よもや表現できまいと思われていた「母性の魅力」を見事に引き出しているのです。

初めて二人がセックスしたあとの会話は……
兵助「(泣いて)・・・嬉し涙や。ワシは幸せもんや」
丸子「(微笑み)よかったでっか?」
兵助「ああ、よかった、極楽やったで……地獄に仏ちゅうのはこのことや」

いくら借金で仕方がないとはいえ、義理の父をすんなり受け入れるという設定にリアリティを生み出したのは、鹿沼えりのほかでは見られない“仏”のような包容力の魅力の故でした。

ここで、渡辺護監督でもう一本、忘れがたい「でんしゃ」映画、1982年5月封切の『痴漢電車 いたずらな指』が思い出されます。
筆者がポルノ映画というジャンルで狂わされた女優は鹿沼えりともう一人、美野真琴だけですが、その美野真琴との出会いがこの映画。ここでも、本来は “ズベ公”チックなスレた魅力を持った美野真琴に、そこからちょっとずれた“かわゆい”女子高生を演じさせ、結果、彼女が最も魅力的に撮られている映画となっていました。
こうやって見ると、渡辺護映画で女優が輝くとき、そこでは、女優本来の個性に乗っ取った持ち味が引き出されるというより、渡辺護の頭の中にある理想の女性像に従って女優がディレクションされていくうち、その女優から女優本人にも思いがけぬ魅力が引き出されていく、という成り立ち方が見えてきます。
これを一言で言ってしまえば「渡辺護監督の演出力のたまもの」となるのでしょうが、ではどうしてこんなことが出来るのか……それはわかりません。
渡辺映画を繰り返し見ることでしか、その秘密に近づくことは出来ないのでしょう。今回の『片目だけの恋』はどうだったか?それは、是非ご自分の目で確かめてください。

作品解説リスト>好色花でんしゃ