渡辺護監督の思い出(原一男)

by TAKARABUNE

渡辺護監督…私にとっては、とても懐かしい名前だ。
ピンクの巨匠……私は、彼の助監督だった。もう、かれこれ20年も前になるだろうか。
今でも時々思い出す。現場で少し恥じらいながら「ここは、クロード・ルルーシュ調でいこうか! 音楽は、ダバダバダ、ダバダバダをのせようよ!」とカメラマンに声かけながら演出していた渡辺監督。
助監督についていたといってもわずか4~5本。他のピンクの監督にもついていたのだが、その人のあまりのお金のせこさにウンザリして、“貧すりゃ鈍す。鈍すりゃ貧す”と感じた私はピンク業界から足を洗った。
ピンクの現場は、まぎれもなく映画の学校だった。
「さようならCP」「極私的エロス・恋歌1974」を撮り、全く映画技術なんかど素人状態で作り、それから技術の勉強をしなければとピンク業界に縁あって潜り込み、3~4年間は働いたハズだ。
最初は撮影助手で入り、やがてカメラマンになり、だが、どうしても演出部になりたくて助監督へ転向した。そんないきさつがあって渡辺護監督と出会ったのだ。
話を戻すが、何も渡辺監督との縁を切ることはなかったのだ、と悔いた。もしも、あの時、渡辺監督の助監督という関係を続けていたら、今頃、私はピンクの監督としてデビューしていたかなあ?
ともあれ、私の劇映画の現場で絡みのシーンがあり、さて、どう演出するのか? どうカットを割るのか? とハタと困った。もっと渡辺監督から、絡みの撮り方を学んでおけば良かった! まさに、後悔先立たず。
ご冥福を祈ります。